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2012
03.28

東京→山梨

Category: イベント
展示会も終わり、一週間がすぎました。
普段通りの、まだちょっと肌寒い山梨の風を感じる毎日です。

ちょっと窯八の歴史を書きます。

初めてこの土地を見に来たのは10年くらい前のことになります。
おとうさんがずっと探し続け、やっと見つけた「窯を築くための場所」
の候補として、連れてこられました。
「ここにしようと思うんだけど」
そう言われた目の前の風景は、山の中、そのものでした。

木々が生い茂り、下草も自由気ままに伸び放題で、どこからが候補地で
どこまでが窯場になるのかわからないような、そんなところでした。
とてもワタシの歩く場所じゃない!という感じで(笑)
その日一歩も足を土にはつけず、車から降りるとおとうさんにおんぶしてもらって
辺りを歩いたものでした。

それから年月をかけておとうさんが一人、木を切り、草を刈り、整地を始めました。
窯場の予定地には土を盛って傾斜をつけ、ひたすら基礎を整える毎日。
ようやくして大工さんに工房を作ってもらい、窯も完成し、そのころにワタシも
東京から山梨へ移ってきました。

そこからいよいよですが、言葉通り「ゼロ」からの出発。

山梨には知人もツテもほとんどなく、どうしたらいいのか
さっぱりわかりませんでした。
器にどう値段をつけたらいいのか、それすら検討もつきませんでした。
最初に付けたのは「小皿300円」でした。
今なら1200円くらいついているかな(笑)。

今回、東京展で沢山の知人や親戚も足を運んでくれました。
みんなとても応援してくれていて、沢山の関心を寄せてくださいました。
窯八の歴史をちょっと振り返って、
まったくのゼロから始めた私たちの窯場が、ここまでなんとかこられたことが
なんだかとても誇らしく、そしてとても嬉しいことだと感じました。

おとうさんが言っていました。
僕は焼き物屋。

時代の流れにとても合っているとか、注文殺到の人気作家、とか
そういう窯場では決してないけれど、でもおとうさんが自分の器を焼き続けることに
誇りを持っていられるような、そういう窯場でありたいなーと思いました。

ワタシ、がこうしておとうさんの手伝いをしながら山梨の暮らしを楽しんでいることに
「まさかあの…がねぇ…」と笑う方も多く、昔のワタシってどんなだった(笑)?
大切なこと次第、で人は変わっていけるということでしょうか。

そして毎日は続いていきます。
子供たちも春休みが始まりました。
ブログDSCN7437



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